• リスト

【壊憲・改憲ウォッチ(38)】占領期沖縄の核配備からも明らかな「米軍は日本を守らない」

2024年1月18日

飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)

【1】 占領期の沖縄と核兵器

恩納村にはメースBが配備されていた米空軍ミサイル基地跡があります。

2023年12月15日、髙良鉄美参議院議員、神谷めぐみ沖縄国際大学沖縄法政研究所助手と一緒に跡地に行きました。

そこでいろいろ見聞きした情報や、松岡哲平『沖縄と核』(新潮社、2019年)などをふまえ、沖縄と核兵器の実態、そこから明らかになることを紹介します(以下、ページが記されている場合には上記の松岡さんの本からの引用になります)。

占領期、沖縄には最大約1300発、19種類の核兵器が配備されていました(22ページ等)。

長崎市が発表している資料では、2023年6月段階でロシアが5890発、アメリカが5244発、中国が410発、フランスが290発、イギリスが225発の核兵器を保有しています。

沖縄に1300発もの核兵器が配備されていたことがどれほど異常か、分かると思います。

メースBは射程距離約2400km、ロシアの東海岸から東南アジアまで射程内に収める「敵地攻撃型」の核ミサイルですが(236ページ)、「サイト1」(読谷村)、「サイト2」(勝連半島のホワイトビーチ)、「サイト3」(金武村)、「サイト4」(恩納村)に配備されていました(238ページ)。

1962年から1964年まで沖縄に駐留していた元兵士のオハネソン氏は沖縄の核配備について、「このサイト4だけで、1メガトン〔広島型原爆が15キロトンなので約70倍。筆者補足〕の核弾頭をもつミサイルが8発もあったのです。さらに別の3つのサイトにも8発ずつ。それらを合わせると、世界を破壊し尽くすだけの核兵器がありました。今は想像もできませんが、沖縄は、世界有数の核の集積地だったのです」と指摘しています(248ページ)。

軍事的常識として、アメリカ軍も沖縄が核攻撃を受ける危険性を認識していました。

ソ連が広島型原爆の約700倍の威力をもつ10メガトンの核爆弾で沖縄を攻撃することすらアメリカ軍は想定していました。

そして最初に嘉手納基地(空軍)、普天間基地(海兵隊)、ホワイトビーチ(海軍)などが攻撃されると想定していました。

その結果、「地上の建物はコンクリート製のものも金属製のもの破壊し尽くされる」、「核攻撃を受けてから12日間は、兵士は地下施設に避難することを余儀なくされる」とアメリカ軍は想定していました(124ページ)。

ただ、12月15日の現地の説明によれば、恩納村のミサイル基地は1m以上のコンクリートの壁でつくられ、有事の際にはシェルターとして機能する一方、周辺の住民には核が配備されていることが知らされず、「弾薬庫」と説明されていたとのことです。

アメリカの軍人たちは、自分たちはシェルターに隠れるが、住民には恩納村の基地に核兵器が配備されていることすら知らせなかったのです。

万が一、戦争になれば必然的に恩納村の基地周辺の住民が核の被害を受ける危険性にアメリカ軍は全く配慮していなかったのです。

【2】核兵器で沖縄の基地を攻撃する作戦すら立てていた在沖アメリカ軍

驚くべきことに、沖縄の核兵器が敵に奪われそうになる場合、アメリカ軍は基地を核兵器で攻撃する計画すら立てていました。

1998年、海兵隊文書「 Operation Plan4-57 (作戦計画4-57)」という文書が発見されました。

「作戦計画4-57」によれば、沖縄の米軍基地が敵の手に落ちるぐらいなら、海兵隊は核兵器で米軍基地を破壊する作戦を立てていました(114-118ページ)。

さらに「作戦計画4-57」では「軍事的必要性がある場合を除き」、「住宅地」「病院」「孤児院」などは核攻撃の対象から外すとも記されています(117ページ)。

この記述からすれば、「軍事的必要」があれば、海兵隊は沖縄の「住宅地」「病院」「孤児院」などを核攻撃することになります。

1960年から61年に沖縄に海兵隊将校として駐留し、その後は日本で学者になったダグラス・ラミス氏はこの作戦計画を見て、以下のように発言しています(118ページ)。

「最優先されるのは、嘉手納基地だと書いてある。しかも、嘉手納基地の弾薬庫だと。米軍にとって最も大切なのは核を敵に奪われないことで、住民を守ることではない。住民は、北部に逃がすとなっている。沖縄戦と一緒だ」。

こうした計画はアメリカ海兵隊だけではありません。空軍もでした。

第498戦術ミサイル群の部隊誌には「兵器撤去・破壊作戦計画65-63が策定された」との記述があります。

ある元兵士は、「この計画は、沖縄に敵が侵攻して米軍が劣勢に立たされた場合に、メースB基地を破壊する計画だったと明かした」とのことです(251ページ)。

松岡哲平さんは「周囲に及ぼす影響は全く検討されていなかった」、「軍の理論を優先し、住民のことなど後回しというのが、海兵隊でも空軍でも全く同じであった」と指摘しています(252ページ)。全く同感です。

【3】「沖縄は大変だったね」で済ませられない

上記の話、「沖縄は大変だね」で済ませられる話ではありません。

たとえばキューバ危機(1962年)の際、嘉手納基地ではC-130輸送機が核兵器を積み、「ハイギア作戦」の準備をしていました。

「ハイギア作戦」とは、有事の際に日本本土の米軍基地に核兵器を移すため、嘉手納基地に輸送機を24時間待機させるものです(285-286ページ)。

核兵器を積んだ輸送機は板付(福岡県)、横田(東京)、三沢(青森県)の米軍基地に向かう予定でした。

「ハイギア作戦」について松岡哲平さんは以下のように指摘しています(286ページ)。

「強い反核感情に配慮して、日本本土の基地に核兵器を配備することはしない。しかし、有事の際には、日本との事前協議などお構いなしで、沖縄から日本に核を持ち込み、即座に核攻撃のために出撃する仕組みがひそかに整えられていたのだ」。

【4】 アメリカが日本を守ると考えることこそ「平和ボケ」「お花畑」

「憲法9条を守れ」「米軍基地を撤去しろ」と発言すると、現実を見ない「平和ボケ」「お花畑」などと批判されることがあります。

しかし占領期の沖縄の核兵器をめぐるアメリカ軍の対応をみても、「アメリカ軍が日本を守る」と考える方が現実を踏まえない「平和ボケ」「お花畑」であることが分かります。

「沖縄での核兵器の実態は昔の話だろう」と思われるかもしれません。

ただ、1969年11月、佐藤栄作首相とアメリカのニクソン大統領は、有事の際には沖縄に核兵器を持ち込むという「密約」を結んでいます。

「事前協議」がなされたことは一度もなく、アメリカは在日米軍基地から直接戦地に向かうなど、「日本との事前協議などお構いなし」という実態はいまも変わりません。

最近の対応でも、アメリカ軍は日本を守るために日本に駐留しているわけではないことが分かります。

2023年11月15日、沖縄海兵隊を「海兵沿岸連隊(MLR)」に改編する式典で第3海兵師団の司令官クリスチャン・ワートマン少将は「 to protect our nation and support the defense of Japan 」と発言しました。

クリスチャン・ワートマン少将が言う「 our nation 」とはアメリカになります。

日米安保条約6条では「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」にアメリカ軍は日本に駐留することになっており、アメリカ防衛は日米安保条約での在日米軍の任務ではありません。

クリスチャン・ワートマン少将は”defend Japan”(日本を守る)と言わずに”support the defense of Japan”(日本の防衛を支援する)と発言しました。

こうした発言からも、在日米軍が日本を守ろうと考えているわけでないことが分かります。

1982年4月21日、アメリカ上院でワインバーガー国防長官は「日本を守るために米軍が日本に駐留しているわけではない」と発言しています。

日本を守るためにアメリカ軍が日本に駐留するなどと考える方が軍隊の本質を踏まえない「平和ボケ」「お花畑」の空想的主張です。

「日本を守る」どころか、「軍事的必要性」があれば日本の民間人すら攻撃する、アメリカ軍の「本性」を正確に認識することが重要です。