【壊憲・改憲ウォッチ(37)】12月8日にむけて
飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)
アジア・太平洋戦争末期の前橋空襲で高崎山に避難した「4歳の男の子」がいました。
花火だと思ったらしく、「きれいだね」と言ったらげんこつをされたそうです。
その男の子は戦後も食べ物がなくて木の根っこを食べたり、ウサギを捕まえて売ったりなど、大変な生活をしたそうです。
男の子は大人になっても「戦争」の悲惨さを伝えるため、毎年8月15日には自分の2人の「子どもたち」に「すいとん」を食べさせました。
2人の「子どもたち」とは弟と私であり、「4歳の男の子」は私の亡き父です。
私が子どもの頃、両親に上野動物園へ連れてきてもらったことがあります。
動物園に行くのはとても楽しみでしたが、私の心に残ったのは「動物」たちでなく、動物園の入口付近にいた人たちでした。
包帯を巻いていたり、足を失った人たちがハーモニカを吹いていたりしました。
戦争で負傷した元軍人たちでした。
私が生まれたのは1969年、アジア・太平洋戦争が終わってから25年以上たちますが、それでも戦争で負傷した人たちがいました。
戦争から25年たっても、「戦争」は多くの人たちの幸せな暮らしを奪い続けていました。
そして臣民(明治憲法の用語)には「兵隊さん」を大切にするように言いながら、国は兵士を大切にしなかったのです。
「戦う覚悟」(2023年8月8日、麻生太郎・自民党副総裁の台湾での発言)のように、一部の政治家、元自衛隊員、ジャーナリストたちは「戦争」を口にし、平和主義の改憲を主張します。
こうした政治家、ジャーナリストなどは戦争の悲惨さを十分認識していません。
実際に戦場に行く気もありません。
だから簡単に「戦争」や「改憲」を主張します。
しかし実際に戦争を体験した人たちの多くは「戦争」や「憲法9条改正」に反対します。
「戦争」の悲惨さを知れば、「戦争」や「改憲」を簡単に口にできなくなります。
先に上野動物園の話を紹介しましたが、私の子どもの頃は東京大空襲の目の当たりにした人も多く、「人が炭のように黒くなって死んでいた」などの話も聞いていました。
戦争で食べ物がなかったことから、「米粒一つ残さない」大人をたくさん見て、育ってきました。
「ユネスコ憲章」前文では、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かねばならない」とされています。
関東大震災についても「壊憲・改憲ウォッチ(33)」で書きましたが、「戦争の惨禍」を再び起こさないためには、「戦争の悲惨さ」を伝え、「戦争は絶対にいけない」という気持ちを一人でも多くの市民に定着させるとりくみ、「人の心の中に平和のとりで」を築くとりくみが必要です。
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