5.28「憲法破壊の『集団的自衛権』行使容認反対!安倍政権の暴走を許さない! 戦争をさせない1000人委員会 5.28院内集会」を開催
5月28日に開催された「憲法破壊の『集団的自衛権』行使容認反対!安倍政権の暴走を許さない! 戦争をさせない1000人委員会 5.28院内集会」 について、永山茂樹さんの講演の要旨をまとめましたので、掲載します。
(文責・事務局)
「5・15事件」と「集団的自衛権容認論」批判-憲法の観点から
永山茂樹(東海大学実務法学研究科教授・憲法学)
1.安倍政権の三本の矢
安倍さんの三本の矢というと、経済の三本の矢ばかりが脚光を浴びていますが、憲法改正についても、安倍さんは三本の矢を持っています。一本目は「憲法9条を変えよう」という矢でした。ところが、9条を変えようという議論は国民の反対が多いので上手くいかず、一本目の矢は届きませんでした。そこで考えた二本目の矢が、憲法改正の手続きを簡単にしようということで、まず96条を改正して、ハードルを下げてしまうという矢でした。96条を変えたあとで、9条という本丸をやろうと考えたわけです。この2段階の改憲論も反対の議論が高まり、2段階改憲論は的外れの矢ということになりました。そこで三本目の矢は、憲法に手を付けないふりをする改憲ということです。
一本目の矢は、いきなり平和主義を攻撃するもので、二本目の矢は、立憲主義を攻撃するものです。三本目の矢は、平和主義と立憲主義の両方を攻撃する矢だと思います。平和主義を攻撃する一本目の矢は届かずに、立憲主義を攻撃する二本目の矢は的外れだとすれば、平和主義と立憲主義の両方にケンカを売る三本目の矢は、理屈として上手くいくはずがないと思います。本当であれば、平和主義を守ろうとする人たちから反対の議論が上がり、立憲主義をないがしろにすることはおかしいと思う人もいて、両方を敵に回している安倍さんからすれば、一番勝ち目の薄いケンカをいま売ろうとしていることになります。
ところが安倍さんがこのような無謀なケンカを売ることには、意外と騙されてしまう人がいるのかもしれません。ですから、安倍さんの三本目の矢がどのような意味で平和主義をないがしろにしているか。あるいは立憲主義をないがしろにしているかということを見破る力というのを一緒につくっていきたいと思います。
2.再びの「5・15事件」
(1)内閣法制局の憲法解釈
5月15日の安倍首相の記者会見は、1932年のあの5.15事件のクーデターと重なっているというふうに思います。この5.15の「安保法制懇」の報告書は、憲法をないがしろにする「クーデター」ではなかったかということです。この前段にあったのはご承知のように、内閣法制局の憲法解釈を否定しようという安倍内閣の昨年から今年にかけてのクーデターでした。
もともと内閣法制局というのは、内閣法制局設置法に基づいて設置された、内閣のもとにある機関でありながら、内閣から少しだけ独立をして独自の憲法解釈を行い、それによって内閣の憲法違反になるような行為をあらかじめ統制しようという組織です。安倍さんは、自分は選挙で勝って信任を得たのだからどんなことを言ってもかまわないという考えですが、この内閣法制局の役割というのは、内閣がこれから取り組む行政や、内閣がこれから国会に提出しようとしている法律案を、あらかじめ憲法に違反しないものにしようという、立憲主義を支える上でとても大事な仕組みです。内閣で言われていることが憲法違反にならないように、裁判所も違憲審査権を使えます。
しかし、安倍さんはこの内閣法制局の憲法解釈権や統制権を敵視して、一時は法制局の長官や自分の友達を呼んできた。そして法制局の憲法解釈をひっくり返すことができると豪語しています。これが5.15クーデターの前哨戦でした。今年の5月15日の流れを見ながら、これがどうしてクーデターなのかということについて説明します。
(2)「5・15事件」の流れ
5.15では、首相のプライベートな私的懇談会である「安保法制懇」が報告書を作ってお昼に提出しました。安保法制懇は第一次安倍内閣のときにスタートしましたが、第一次安倍内閣が途中で崩れてしまいました。第二次安倍内閣の時になり、もう一度この「安保法制懇」が活動を始めて7回の会合を持ちました。最後が5月15日です。そして、5月15日の会合後に報告書を提出しました。
安倍さんのお友達、つまり私的な集まりなのに、なぜそんなことができるのかというと、正当性はあるのかないのかということがかなり問題になります。なぜプライベートな人間が集まると、安保のことについての方向を決めることができるのか。「安保法制懇」の座長代理を務めてらっしゃるのは北岡さんという方ですが、この方は開き直って、別に民主的な正当性があるわけない、法の枠の外にあるからなにをやってもいいという開き直った発言を5月19日にしています。しかし、確かに選挙で選ばれた機関ではないので民主的な正当性はないかもしれませんが、民主的な正当性がないから何をやってもいいというのは間違いで、民主的な正当性がないからもうちょっと控えめにしたらというのが普通の考え方ではないかと思います。なぜ安保法制懇が14人のメンバーかという疑問もあります。元防衛庁次官や防衛大学の名誉教授も入っています。構成員の色彩を見ると、軍事的な性格が拭えません。私的な団体でしかも軍事的な色彩の強いメンバーによって構成されている組織が、なぜこれほどまでに国家権力の在り方についての発言をすることができるのか。これがクーデターじゃないかという一つの理由です。
さて、お昼にこの報告書を提出しました。受け取った内閣総理大臣はそのあと、NSC(国家安全保障会議)で議論したと言っています。NSC設置法によると大臣4人が集まって話し合いをする時ときと9人集まって話し合いをするとき、大きく分けると二つの会議があり、この時は4人でした。内閣総理大臣、外務大臣、防衛大臣、内閣官房長官の4人で話し合って、この安保法制懇からできた案は良いだろうという議論をしました。NSCは4人の大臣で話すときと、9人の大臣で話す時がありますが、一番大事なことは4人で話し、些末なことは9人で話すと書いてあります。本当はこれ逆じゃないかと思いますが、NSC法はそういう仕組みになっていました。
ですから、大事なこと、安全保障の基本にかかわることでありながら、それは9人の大臣ではなくて4人の大臣で話し合っていいというのが確かにこのNSC設置法に書いてあります。これによって公明党の大臣は省かれて自民党系の大臣で話し合ったという形になりました。どうして4人でやるのかというと、4人でやった方が実質的な審議が出来るから大事なことは4人でやると政府側は国会で答弁しています。だとすれば、今回は昼間にA4版で40数ページの報告書が上がり、読むのが大変ですが、これを夕方の安倍さんの記者会見までにあの4人で読んで議論をしてまとめるはずがありません。本当にNSCの4人で話し合ったのか疑問です。つまりNSC法でつくった4大臣会議で話をするというのが法律の主旨でありながら、事実上議論をあらかじめ決めているとしか言いようがありません。そんなことはお構いなく安倍さんは記者会見を始めたわけです。
4人の大臣で話をしたかもしれませんが、NSC法の話し合いの中身は出てきません。4人の大臣は48ページの報告書を読んでどう考えたのかということはわかりません。これは文民統制、市民による軍事問題の統制をまったくかいくぐったNSCです。また、国民の知る権利を形骸化させているNSCではないかなと思います。去年の12月に特定秘密保護法を通してしまいました。わたしたちは軍事問題についてわたしたちが知らないところで物事が決まるのではないかということを恐れていました。まさに5月15日はそうだったのです。
そして夕方、安倍さんが発言と記者会見を始めました。これは皆さんご存知の通り、2枚のパネルを持ってきて説明しましたが、全体の議論の中でどういう位置づけになるのかよくわからない。お母さんが子供を連れて、可愛そうなお母さんと子どもがいるという情緒的な説明でした。正直なところ、あの話は複雑すぎてよくわからないと思います。
外国で困ってしまった日本人がいて、その日本人をアメリカの軍艦が運んでくれて、その軍艦が攻撃されたときに日本の自衛隊が出ていくという、二重にも三重にも軍事問題としては複雑なこと、あるいは法的な問題として複雑なことで、あれが「集団的自衛権」なのか、それとも「個別的自衛権」なのか、それとも自衛権とは関係ない軍事的な活動なのか、よくわかりません。色々な国際法の本を見ましたが、あれは昔から人によって解釈が違います。外国にいる邦人を輸送する船を守るというのは、「個別的自衛権」か「集団的自衛権」か、あるいは自衛権と無関係かということは、国際法の世界でも諸説わかれています。
それくらいよくわからない議論を持ってきて「ほらどうですか、こんなに自衛隊の活動が大事でしょ」というふうにもってくるのは、情緒的であると同時に理屈としてよくわかりません。5.15がいかにひどい事実の積み上げであったかということが分かります。振り返ってみると、安保法制懇が報告書を出し、NSCが何をやったかわからず、国民にはなにも伝わらない。
そして最後の極めつけがあのパネルです。実際5.15の後にいくつかの新聞社が世論調査をしていますが、日経あるいは朝日新聞は、いずれも多くの国民が5.15はおかしかったという批判を伝えています。つまり安倍さんは電波ジャック狙ったわけですが、世論はいまのところなびいておらず、健全な世論の反応があったということだと思います。
(3)憲法の無視・敵視
このような5.15に象徴される一連の憲法クーデターというのは、これまでの安倍内閣で見られていたように憲法を無視する、あるいは憲法を敵視するということに歩調を合わせています。日本は「集団的自衛権」は行使することができないという憲法の理解を必要もなく破壊し、またこれまで下されてきた裁判所の判決を歪曲したり無視したり、また立憲主義という人類の知恵を無視し、立憲主義ということに対して著しく無理解です。憲法改正権は国民が持っていて、国民が公務員に対しては憲法を尊重、擁護しろというふうに強制することができるはずですが、ここもないがしろにしています。国民が持っている大事な権利を次々と奪おうとしています。安倍さんは「美しい国へ」という新書の中でも、国民みんなで憲法をつくることがとても大事なんだというように、まるで国民の権利を尊重して憲法改正を議論していくのだという言い方をしていますが、実際には改正権を奪って勝手に憲法を変え、憲法尊重擁護義務から公務員自らが解放されるということであって、国民の権利を奪っていることになります。
5月15日の会見のあとのインタビューで、新聞記者が「前回の選挙で争点になっていなかったから、選挙をもう一回やって集団的自衛権の容認について国民に真意を問うたらどうですか」という問いかけがありました。安倍さんは「自分は選挙運動の時に集団的自衛権のことを言っていたから、もう改めて国民に意見を聞く必要はない」という立場からどうも新聞記者の質問に対してのらりくらりと逃げていたようです。結局のところはアメリカとの関係で年末までにガイドラインを改定するから、それまでにやらなければいけないという。アメリカの都合であり、国民に対しては義理もないという立場なのではないでしょうか。
3.集団的自衛権「限定的」容認論などの批判
(1)「限定」は限定ではない
5月15日に「安保法制懇」が提出した文書と、その後安倍内閣の側から出してきたさまざまな議論の中身は、平和主義との関係でどうなのかということについて、話をしたいと思います。「集団的自衛権」行使の一つの条件として、「安保法制懇」は我が国と密接な関係にある国への攻撃があった場合や、実際に攻撃が起きなくても、攻撃の着手があれば集団的自衛権を行使できると報告しています。我が国の安全に重大な影響があれば「集団的自衛権」が使えるという枠組みを設けました。北岡さんらの「安保法制懇」はこうした条件を付けておくと「集団的自衛権」はそんなに広がらず、限定的だろうということを伝えようとしているわけです。しかし、これは本当に限定になっているかというと、本当は限定ではないのではないかと思っています。
「安保法制懇」の議論を受けて、自民と公明の与党協議会に自民サイドからは実際の事例がたくさん出されました。「集団的自衛権」の行使に関連しては、与党協議会で出された事例は8事例、それ以外にいわゆるグレーゾーンの事例と集団安全保障の事例というのが出ています。15事例のうちの「集団的自衛権」8事例というのは、例のパネルにあった邦人輸送中の米輸送艦のケースです。それから「民間船舶の国際共同護衛活動への参加」などが、8事例として公明党の側にこれから先、提案されていくということです。
「安保法制懇」では例えば、我が国と密接な関係にある国への攻撃があったときにのみ、「集団的自衛権」を行使するから「限定的」だとしています。我が国と密接な関係にある国がピンチなら、日本の自衛隊が出ていきます。しかし、我が国と密接な関係のない国については、自衛隊は出ていきませんということで、一見すると「限定的」ですが、これは「密接な関係にある国」を「アメリカのことなんですね」と当然受け取るからです。しかし、我が国と密接な関係にある国は、アメリカに限定されるのでしょうか。
昨年以来、とくにこの2、3年は、日本の自衛隊とインド、オーストラリア、ASEAN諸国は密接な軍事交流を高めています。NATO諸国とも密接な関係を作っていますが、例えばインド海軍と日本の海上自衛隊は共同で訓練しています。日本とオーストラリアはより密接な関係を作ろうと様々なルール作りに励んでいます。オーストラリアの新聞を見ると、ちょうど今の日本とアメリカの関係と似ている報道があります。日本人は、こんなにアメリカと一緒になっていたら危ないだろうということを議論します。アメリカに義理立てしていたら、アメリカの軍事行動にいつも付き合わされてしまい、日本の若者が戦場で死んでしまうのではないかと心配しますが、オーストラリアの新聞は、いまそう書いています。日本と一緒になって軍事行動をするような関係を高めたら、日本がとんでもないことした時に、オーストラリアはそれについていかなければならないのではないか。特にオーストラリアの野党の側がそういう批判をしています。与党の側は、仕方ないだろうという、まるで日本が国是とする日米同盟と同じような議論をしています。つまり、一見すると日米のことだけのように見えて、でも全然限定できていない。ですから限定は限定になってないだろうというふうに思っています。
そのほか気になるところとしては、「安保法制懇」の報告には書いてない事例というのがあります。例えば、地理的制限というのは出てきません。また、仮に「集団的自衛権」が存在するとして、どんな兵器を持てるのか、持てない兵器はあるのか、核兵器はどうか、航空母艦を持つことはどうなのかということはよくわかりません。この点でも、本当に限定かどうか気になります。あるいは、「集団的自衛権」行使の代償として敵国のミサイル基地を攻撃することができるのか、「集団的自衛権」を使い始めたとして、いつ「集団的自衛権」の行使をやめるのかというところも限定付けがよくわかりません。「安保法制懇」が、「集団的自衛権」はこういう定義だといって縛りをかけたふりをする。自民党・公明党の議論では、事例を限定し、それ以外やりませんと言って縛りをかけたふりをしています。
(2)憲法に基本原則に照らした批判
どのような視点からこの問題を批判していったらいいかという点をいくつかお話ししてみたいと思います。原則としてはやはり憲法の基本原則との関係で、「集団的自衛権」の行使は平和主義に反する、政府の示威的な憲法解釈は立憲主義を脅かしているという原則的な立場でこれらの問題を批判する視点は忘れてはいけないと思います。憲法のさまざまな条項、例えば9条や21条などさまざまな条文との関係で、この定義づけや限定はおかしいという批判をしなければいけません。よく言われることですが、結局この「安保法制懇」や政府与党の議論というのは、9条を持っている国でありながら9条を持っていない国と同列の軍事力を行使する国にしてしまおうということです。そのことを憲法との関係で訴え続ける必要があると思います。
限定的容認論を批判する物質的な視点として、リアリティがないということも挙げられます。そんなことをする必要があるのか、よくわからない事例やケースが安倍さんから自公の協議にたくさん提案されています。例えば、アメリカ本土を狙ったミサイルを日本がミサイル防衛で撃ち落とすということが「集団的自衛権」では大事だと言いますが、心ある軍事専門家はみんなそんなことはないと言っています。アメリカに向けて飛んでいる弾道ミサイルを日本の技術で落とすことはできないだろうし、アメリカに向けて北朝鮮から打ち上げられたミサイルが日本の国土の上を通過することも考えられません。つまり必要性の面でも技術面でもあまりリアリティがないのではないかという批判があります。
安倍さんは8事例を持ち出してきていますが、本当にそんなことあるかどうかわからないことを多々もってきて、こんなに大事だというふうに言っています。これは多分、やりたいことは別にあるのではないか。アメリカに向かって飛んでいる撃ち落とせもしないようなミサイルを本気で撃ち落とそうと思っているわけではなく、本当は他にやりたいことがあるが、それはいきなり言えないので、とりあえず事例を限って「集団的自衛権」を容認させてしまい、その後に別の話が出てくるのではないかということを危惧せざるを得ません。リアリティがないという議論だけすると、逆手に取られるのではないかと少し心配しています。
つまり、リアリティがない、本当に起こるかどうかわからない、というところだけ言うと、おそらく石破さんは「いや、色々なことにあらかじめ可能性も含めて全部準備しておくのが国防だ。落とせないなら、落とせるような技術の開発をしなければいけない」と答えるはずです。
憲法の規定、ルールからしておかしいだろうという規範の視点からの批判と、本当に必要なのか、技術的に出来るのか、起こりうるのかという批判の両方の視点でこの15事例、安保法制懇の出してきた定義付けに対する批判をしていかなければいけないと思っています。
(3)グレーは白ではない
「安保法制懇」が出してきた二つ目はグレーゾーンでした。いま自民党と公明党の間で議論しているのはグレーゾーンの話が中心だと思います。なぜ自民党がグレーゾーンを最初に持ってきたかというと、公明党のガードが一番弱いのがグレーゾーンではないか、グレーゾーンならば公明党の合意を取り付けることができるのではないかという可能性にかけて、まず最初にグレーゾーンの話を持ってきたようです。
グレーゾーンというのは、軍事力によって対応する問題と警察力によって対応する問題です。警察力による対応というのは、普通のお巡りさんが対応するとか機動隊が対応するとか、海上保安庁が対応するべき問題です。この二つの問題で、自衛隊が出ていくような軍事力を使った問題よりも少し弱いが、警察力や保安庁だけではだめだというところについて、そこをグレーゾーンと呼んでそこに自衛隊が出ていくことはどうなのかということです。
例えば、外国の潜水艦が日本の領海内に入り、出て行ってくださいと言っても出て行かない場合や、日本のどこかの離島に外国の漁民が乗り込んできた時に、それを取り締まるという話をグレーゾーンと呼んでいます。グレーゾーンに自衛隊を使いたいというのが自衛隊の一部の人やいまの自民党の考え方のようです。これには公明党も乗るかもしれないと自民党は読んでいるようですが、これはすごく危ないことだと思います。
グレーというとホワイトに近いから良いのではないかという印象を与えかねません。しかし、これまでなら警察が出ていって処理するところに、これから先は軍隊、自衛隊が対応することもありますということです。例えば、中国の保安庁と日本の漁民の間で争いがあったときに、そこに自衛隊が出て行って軍事力を使う可能性をこれから考えようということです。今までなら戦争にはならなかったところを戦争に引き上げてしまおうという議論ではないか。グレーゾーンっていうのは決して安全なものではなくて、これを認めてしまうのはとても危険なんだということを知らなければならないと思います。
4.世論調査のまやかし
世論調査をすると、日経新聞、朝日新聞、東京新聞などでは、安倍さんの議論は批判されています。ところが、読売新聞と産経新聞の世論調査は逆に、安倍さんの議論を世論は支持しているという結果が出ています。これは聞き方が違うからです。読売と産経の世論調査は限定的な集団的安全保障について賛成ですか、ノーですかと聞いています。すると国民は、「限定的ならいいのではないか」ということで支持に回っているのです。東京と朝日と日経はそういう聞き方はしていません。そうすると、限定的だと思ってしまった人は、安倍さんの議論で何が悪い、グレーゾーンでなにが悪い、いいじゃないか、と容易に動員されてしまいます。いま、そのまやかしを私たちが解かないといけません。
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