3.4「戦争をさせない1000人委員会」発足集会と記者会見を開催
3月4日、参議院議員会館で「戦争をさせない1000人委員会」発足集会と記者会見を開催しました。
最初に発起人のひとりである奥平康弘さん(東京大学名誉教授)からごあいさつをいただきました。そして事務局長の内田雅敏さん(弁護士)より発足に至った経過と今後のとりくみの予定について説明がありました。
その後、参加していただいた発起人・呼びかけ人の方々から、それぞれの思いについて発言を受けました。
【発言要旨】(発言順、文責・事務局)
奥平康弘さん(東京大学名誉教授、発起人)
安倍政権が、かつてないかたちで、日本をとんでもない方向へ変えようとしています。私は「とんでもない」という言葉は好きではありませんが、使わざるを得ない状況です。ここで止めなくては、子どもたち、子孫に申し訳ないことになると思います。民主主義、立憲主義を、なんとしても残していかなくてはなりません。その目標のために、まず私たちが立ち上がろうということで発起人となりました。全国的な運動として広がることを期待します。
内田雅敏さん(弁護士、「戦争をさせない1000人委員会」事務局長)
私は1945年、日本の敗戦の年に生まれました。この敗北を抱きしめて、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」という前文から始まる憲法をもって戦後の再出発をしたのです。しかし自民党の改憲草案は、そういう前文を削ることによって、戦後を否定しようとしています。
昨年末、安倍首相は靖国神社に参拝しました。ウォールストリートジャーナル紙は「中国の軍拡派に対する恰好のプレゼント」と評しました。まさに、日中の強硬派がお互いにプレゼントし合うなかで、軍拡と軍事国家化がすすめられようとしています。このような憎悪と不信の連鎖を断ち切らなくてはなりません。
「戦争をさせない1000人委員会」が、いま発足しようとしています。喫緊には集団的自衛権行使容認の問題です。戦後とは、戦争をしないという憲法とアメリカとの同盟関係、本来相容れない2つの法体系の同居であり、憲法の空洞化の歴史でした。しかし、そのなかでもどうしても突破できないものが、「集団的自衛権行使」でした。これまでの政府は「国家当然の法理」という極めて便利な言葉を使って、「個別的自衛権」を導いてきたのですが、どうやっても「国家当然の法理」では「集団的自衛権」は導き出せず、憲法を変える以外ないのです。
しかし安倍政権はまず憲法96条を変えようとしました。これは憲法改正要件を過半数にしようとするものでしたが、一時の勢いで憲法を変えてはいけないという先人の智慧でつくられた規定です。幸い多くの人が立ち上がり、改「正」を断念させました。
さらに、「国家安全保障基本法」などの立法で、下克上的に憲法を変えようとしましたが、そのことも断念して、今度は解釈によって憲法を変えてしまおうという、本来あってはならない事態に踏み込んでいます。憲法が想定していない解釈改憲に向けて、立憲主義の否定、内閣法制局長官の更迭、挙句の果てには法治主義から人治主義へ転換するかのようです。
こうしたなかで、16人の方が発起人となって「戦争をさせない1000人委員会」の発足を呼びかけ、現時点で87人が呼びかけ人として名前を連ねていただき、さらに賛同を拡げ、全国各地に「1000人委員会」を設立し、署名をはじめさまざまな活動をすすめようとしています。世代と階層を超えて、ともにこの運動を展開していきたいと思います。よろしくお願いします。
雨宮処凛さん(作家・活動家、呼びかけ人)
私は7年前に『生きさせろ』という本を書いて以来、憲法25条の生存権を求めて、「生きさせろ」と言わなくてはならない21世紀とはなんなのかと考えながら運動をしてきました。今度は、「戦争をさせない」と自分で言わなくてはならないという、時代がとても悪い方向に来たんだなと実感します。
戦争ができる国へと向かって安倍政権が暴走していることに危機感を持ち、発起人に名前を連ねさせていただきました。安倍さんの勝手な使命感で進められている現状があり、人びとの思いは置き去りのままになっているというのはおかしいことです。
3年前の東日本大震災と福島第一原発事故以降、この国の人々は民主主義や情報の公開性に敏感になり、脱原発をはじめさまざまな運動が活発になってきました。そういう流れに逆行するような政府の暴走に抗いたいと思います。
飯島滋明さん(名古屋学院大学准教授、呼びかけ人)
安倍首相は「積極的平和主義」などと言って集団的自衛権行使容認をすすめようとしていますが、アジア太平洋戦争で日本が多くの犠牲を出したことは世界でもよく知られた事実であり、そのことに無自覚なのは日本の一部の政治家やメディアだけです。また海外で武力行使できる日本になることが果たしていいことなのでしょうか。ここで踏みとどまらなくてはなりません。
マックス・ウェーバーは、どんな事態になっても、「にもかかわらず!」と言える人間こそが政治への天職を持つ、と言っています。今の政治の状況に流されず、これじゃいけないんだと立ち上がることがいま、求められているのではないでしょうか。
落合恵子さん(作家、発起人)
私も1945年生まれの人間です。出生はもちろん偶然ですが、その偶然を必然に変えることが、私にとって、69年間、これまで生きていく上でのテーマだったと思います。何を書くかではなく、自分が生きることで書くことを見つけてきたという気がします。
私がこの国に願うことは、いま安倍政権が向かおうとしていることではなくて、平和に貢献してほしいということです。武器製造ができる国、武器輸出ができる国、原発輸出ができる国ではなく、永遠に子どもが徴兵されない国であることを望みますし、望んでいるだけでは仕方がないので、可能なかぎり自分ができる行動を起こして行こうと思います。
「自衛」のために戦争を戦って、誰も傷つかず、誰も死なず、自国民を守り得た国など、今までの歴史のなかで、一度もなかったということを、私たちは忘れてはならないと思います。安倍さんの好きな言葉に「安全保障に資する」というものがありますが、平和こそが「安全保障に資する」ことだと思います。
私はジョン・レノンの「イマジン」を聴いていた世代ですが、まさに「想像してみましょう」、いまこの国が、武器づくりやめましょう、武器輸出とんでもありません、基地もいりません、戦争はしませんと言ったときに、アジアの緊張感は一気に緩むはずだと、私は信じます。
秘密なんていりません。軍事予算を教育、医療、介護、社会資本、いまそれを必要とする人びとにおくり合える私たちになったとき、安倍さんの言う意味ではなく、本当に戦後体制からの脱却ができるのだと心から思います。
まもなく「3.11」から丸3年が経とうとしています。福島で暮らす方、福島から出られた方、どちらも歯を食いしばってかんばっています。このまま「3.11」を記念日にできますか。私は記念日なんかにしたくない。にぎにぎしい式典だけやって、造花を胸につけ、それで何かが終わったというような大人でありたいとは、私は思いません。
金子光晴さんの詩に次のようなものがあります。「戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。その流れた血が、むなしく地にすいこまれてしまうことだ」「19の子供も50の父親も一つの命令に服従して、左を向き右を向き一つの標的にひき金をひく。敵の父親や敵の子供については考える必要は毛頭ない。それは敵なのだから。」
私たちはふたたび、こんな時代を決して繰り返してはならないと思います。しかし残念なことに、「集団的自衛権行使容認」という言葉にすぐに反応してくれる方は、まだそんなに多くはいません。メディアのみなさんにお願いしたいことは、「集団的自衛権」とはなんなのか、それを容認することで私たちの生活がどうなるのか、ぜひ報道してほしいと思います。
鎌田慧さん(ルポライター、発起人)
「戦争をさせない1000人委員会」は、単に1000人だけでやるということではなく、全国各地に「1000人委員会」の組織をつくっていってほしいのです。それが10個あれば1万人、1000個あったら100万人というふうに、ネットワークが大きくなっていく、そういうイメージで考えていただきたい。ネットワークを広げ、絶対に戦争をさせないという決意をし合いたい。
この間の原発反対運動の成果は、政党組織ではなく、あらゆるところから市民が溢れ出て、大きな集会をつくり出してきたことです。いままでのステロタイプな運動ではなく、新たな運動をつくっていく。そのことはこの危機的な状況だからこそ可能だとも言えます。
「集団的自衛権」「解釈改憲」といった、歯止めを外し戦争にもっていこうという「戦争前夜」。あるいはすでに原発事故を経て、「避難」とか「帰還」といった言葉が溢れている「戦後」というべき状況です。「戦争前夜」と「戦後」が一体化した、今までになかった状況です。そのなかで、どれだけ力をつくして、どれだけやれるのかが問われていると思います。
高まる排外主義や「特定秘密保護法」にあらわれた秘密主義、あるいは監視社会化。原発再稼動や原発輸出にみえる、政府支配、企業支配の強まり。資本の凶暴な論理がそのまま持ち込まれています。一方で、どんどん生活ができなくなる人たちが溢れてきています。そのなかで、若者たちの不安や鬱憤は、威勢のいい言説に絡め取られている。このことを文化的な闘争として考えていく必要がある。
「戦争をさせない1000人委員会」は、各地のさまざまな人びとと手をつなぎ、日本全体をカバーしていくイメージをもって、考えていきたいと思います。
絶対に戦争をさせないということが目標ですが、個人個人が思いを込め、日本がこれからどうすすんでいくのか、そのことを含めて考えていくような、ひとつの大きな文化運動となることをめざしたいと思います。
木村朗さん(鹿児島大学教授、呼びかけ人)
世界的規模での戦争国家化、警察国家化がすすんでいます。「対テロ戦争」という虚構によって新たな冷戦構造がつくり出され、内なる人権侵害と、外なる侵略戦争が常態化しつつあります。日本でも、そのことが堰を切ったようにすすんできています。
ファシズムがいまからやってくるのではなく、すでに戦時下であり、ファシズムの真っ只中にあるのではないかという危機感を持って、参加させていただいています。
昨年成立した「特定秘密保護法」は、現代版「治安維持法」とも言われますが、私は日本版「愛国者法」というべき、テロ防止を名目にした人権侵害が主であり、その狙いは「知る権利」や「報道の自由」の制限というより、個人情報の国家による一元化と監視にあると思います。
このような深刻な状況にはありますが、「3.11」以後、政府はウソをつく、電力会社もウソをつく。メディアもそのウソをそのまま垂れ流すという事実が多くの人に知られ、不信を持つようになりました。また、選挙や多数決こそが民主主義だと刷り込まれてきたのが、実際にはそうではなくて、本当の民主主義は少数者の人権の尊重であり、デモや座り込みが大事なんだと気付き、日本の市民が意思表明をし始めているということに、私は希望を託したいと思いますし、地域からの脱戦争、脱ファシズムの運動として、皆さんと一緒に「戦争をさせない1000人委員会」にとりくみながら、この抗しがたい状況を打破できればと思っています。
組坂繁之さん(部落解放同盟中央執行委員長、呼びかけ人)
私たちが最も尊敬する「解放の父」松本治一郎先生は、戦争は最大の差別、最大の人権侵害だと言われました。まさにそのとおりです。多くの皆さんとともに「戦争をさせない1000人委員会」をとりくんでいきたいと思います。
過去に目をつぶるものは未来にも目をつぶるものである。ドイツのヴァイツゼッカー大統領の有名な言葉です。まさにいまの安倍政権がそうではないかと思います。
いよいよ危ういところまで来ています。戦争をするためには人権や平和は邪魔だという彼の本音が出てきています。人権、平和、民主主義といった人類が血と涙を流しながらかちとってきたものを守り抜くために、がんばっていきたいと思います。
佐高信さん(評論家、発起人)
雨宮さんが打ち合わせで、X JAPANのSUGIZOが私たちの運動に興味を持ってくれているというお話をしました。しかし、鎌田さんをはじめ、われわれ誰もSUGIZOを知らなかった(笑い)。
理論的なところだけではなく、若い人たちの心を、言葉の力でつかまえていかなくてはならない。雨宮さんを中心として若手のひとをここに入ってもらい、老壮青の結合をつくっていきたいと思います。そのためには、X JAPANのことも、われわれは知る必要があるのではないか。
集団的自衛権行使容認は、つまり「自衛」から「他衛」へ、アメリカの戦争に次々と巻き込まれていくということなんだろうと思います。そのことをわかりやすく伝える言葉が必要です。作家の城山三郎さんが「戦争で得たものは憲法だけだ」という言葉を遺しましたが、さすがだと思います。若い人に伝わる言葉を見つけるために、皆さんとともに智慧をしぼっていきたいと思います。
高橋哲哉さん(東京大学教授、発起人)
まさか、こういう状況が来るとは想像できませんでした。このところ私は安倍政権について、戦後最悪の政権なので即刻退陣してほしいと言っているのですが、とにかくタガが外れてしまった状況だと思います。憲法、原発、沖縄、靖国、教育、あらゆる問題が噴出していて、すべての場面で、安倍政権はいままでにないような大転換をしようとしています。
たとえば昨年末、安倍首相の靖国参拝がありました。おそらく彼は中国、韓国の反発は重々承知、折込済みで何とかかわせると思っていたんだと思います。しかしアメリカからかなり強い批判を受けました。失望した、とまで言われたところ、アメリカに失望されたことに失望したと返した閣僚がいて、さらにアメリカを怒らせました。それ以外にも、EUやロシア、そして台湾からも批判されました。東南アジアの大臣クラスの人からも批判を浴びました。
歴史認識に関して言えば、安倍政権は、世界から孤立しています。このことは計算違いだったんだと思います。どういう歴史認識をもっているのか、このことが欧米をはじめ世界に知られるようになったのです。中曽根、小泉両首相が参拝したころは、靖国神社がどういうものなのか、中国の一般市民は知りませんでした。ましてやアメリカ人やヨーロッパは知らなかったでしょうが、いまでは欧米紙は”war shrine”、「戦争神社」と書きます。そして安倍首相は”revisionist”、「歴史修正主義者」と書かれます。『アンネの日記』をはじめホロコーストに関連する図書が毀損される事件が相次いでいますが、”revisionist”というのは、欧米ではそんなネオナチ、ホロコーストを否定するような人たちをさす言葉です。そんな言葉が日本の首相を紹介する枕詞になっている状況があるのです。
しかし、国際的な批判を浴びているからと言って、安倍政権が退陣してくれるのかと言えば、そうはならないわけですね。いま日本そのものが「ガラパゴス」的状況に陥っているからです。村山談話や河野談話を見直すとか、「侵略」という言葉には定義がないとか、そういうことを言っても政権の座に居座っていられるのは、日本の社会のなかにそれを容認し、むしろそれを支持するような声が強まっているということではないでしょうか。とくにそういう言説に対して若者の支持が広がっている状況があります。
そういう厳しいなかにあることは肝に銘じなくてはなりません。そういう状態にある若者たちをどう揺り動かすかが勝負だと思います。そのために力をつくしたいと思います。
高良鉄美さん(琉球大学教授、発起人)
私が小学5年生のとき、まだ復帰前ですが、教科書の中で「日本国憲法」と出会いました。憲法を読んで、こんな国があるのか、すばらしい、これこそが沖縄を救うんだと直感しました。当時、学校の先生をはじめ、みんな復帰運動にとりくんでおられましたが、その情熱は「平和憲法の下に復帰する」という、この一点にあったのだと思います。
復帰運動を組織していた「復帰協」は、復帰が決定したとたん目標を失いました。どうするんだ。そこであとを引き継いだのは「沖縄県憲法普及協議会」でした。これは「沖縄に憲法を普及させる」団体ではありません。沖縄から、日本に憲法を普及させるという意味なんです。復帰当時から沖縄は、これは何かおかしい、と感じていたんですね。
いまや、アメリカに「復帰」すればよかったという人までいます。沖縄県選出の自民党の国会議員にも、普天間基地の県外移設を言い続けた人がいましたが、自民党幹事長が乗り込んで全員さらし首のようにされました。考えられないことです。「沖縄独立」を言う人もいます。しかし沖縄がこの日本国憲法を守るためには、そうしなくてはならないかもしれません。「基地の島、沖縄」。これはいつまで続くのでしょうか。来年には戦後70年を迎えますが、沖縄はずっとそんな状態が続いているのです。
はじめて憲法を見たときには、戦争のできない国、しようがない国だと思っていましたが、ずいぶん状況が変わりました。教科書問題しかり、防衛意識を植え付ける教育へ変わろうとしています。新基地建設も強硬にすすめる。そして、オスプレイの強行配備。昨年1月には、沖縄の41地方自治体のすべての首長・議長が「建白書」を持って東京に来た際も、右翼によるヘイトスピーチに遭うわけです。そういうことからすれば、戦争の真っ只中にいるといってもいいかもしれません。
私がいつも帽子をかぶっているのは、国会の傍聴規則に抵抗しているからです。帽子をかぶったら何故いけないんだと、1994年から20年間続けています。今日は、戦争を「防止」する委員会(笑い)ということですが、1000人から1万人へ、沖縄では「万人」と書いて「うまんちゅ」と読み「民衆」という意味です。ぜひ一般市民へとどんどん拡げていってほしいと思います。
福山真劫さん(平和フォーラム代表、呼びかけ人)
平和、民主主義、そして憲法理念を実現するために、長年たたかってきました。しかしいまほど危機感を覚えたことはありません。子どもや孫に対して、どんな日本を遺せるんだろうかと考えますと、不安でなりません。
確かに安倍政権の支持率は高いものがあります。しかし、個別の政策でみると、原発再稼動を支持しているでしょうか。辺野古への新基地建設を支持しているでしょうか。多数派はこれらを支持していませんよね。集団的自衛権行使容認についても、憲法を否定して、平和を投げ捨てて、戦争をする国にしていくことを、過半数の人びとは支持していません。
脱原発や沖縄のたたかい、あるいは「特定秘密保護法」との大きなたたかいを、私たちは見てきたし、経験もしてきました。こうした積み重ねをもって、総がかりでとりくめば、絶対に止めることができると思っています。
私たちの未来や希望は、この「戦争をさせない1000人委員会」運動のなかから見つけられるものだという思いを強めています。全力でがんばって、日本全国から霞ヶ関を、「戦争をさせない」という声で包囲をして、安倍政権の暴走を止めたいと思います。
山崎朋子さん(ノンフィクション作家、呼びかけ人)
私にはつらい思い出があります。私の父は海軍の軍人でしたが、戦争の始まる直前、乗り組んでいた潜水艦ごと消息を絶ってしまいました。私はそのとき8歳でしたが、私と私の家族は「非国民」と呼ばれ、街も歩けない、学校でも先生は声をかけない、友達も口を利いてくれない。
ところがしばらくして、父は「名誉の殉職」とされました。そして『潜水艦1号』という映画になって、全国の学校で上映されました。こうなると、今度は私たちは「名誉の一家」となったのです。靖国神社からは戦後、「戦中気の毒なことをしたけれど、あなたの父を靖国に祀るから、東京に来い」と言ってまいりまして、母も私も断固として断りました。
権力というもの、国家というものがいかにいいかげんで、国民をおもちゃのように振り回すかということを身に染みて感じて、いまに至っております。
こんな経験をしたものですから、ふつうの女の子であったのが、このことを原点に、戦争、そして女性史を学び始めました。いろんな経験をした人たちの話を聴き、細々とまとめてまいりました。
1930年代に男性による平和運動が消えてしまった後も、婦選獲得同盟は反戦を訴え続けました。しかし1935年、日本がもっとも戦争へのスピードを上げていくときに、「戦争やむ無し」と決議し、旗を降ろしていまいました。この貴重な反戦運動がなくなってしまったのは何故なのか、これは大事なことだと思います。それは、足もとがきちんと固まっていなかったからです。
ですから、私はいま地域で、若い母親の方たちを中心に集まっていただいて、足もとから話し合うということをやっております。そういうことが必要だと思います。
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