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「民主主義」から見た検察官の定年延長問題

2020年5月18日

戦争をさせない1000人委員会事務局次長の飯島滋明さん(名古屋学院大学教授)より、「検察庁法改正案」の問題性について解説を寄せていただきましたので、掲載します。

「民主主義」から見た検察官の定年延長問題

                飯島滋明(名古屋学院大学、憲法学・平和学)

1 はじめに

 いま、「改正検察庁法案」の問題が大きく取り上げられている。多くの芸能人が抗議のツイートを投稿し、さらには515日、この改正法案に反対する、松尾邦弘・元検事総長や、ロッキード事件を担当した、堀田力・元東京地検特捜部検事などが法務省に意見書を提出した。その意見書では、「〔改正案は〕時の政府の圧力によって起訴に値するような事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態」が危惧されている。そして安倍首相の態度に関しては、「フランスの絶対王政を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる『朕は国家である』との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基礎理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」、「17世紀の高名な政治思想家ジョン・ロックはその著『統治二論』(加藤節訳、岩波文庫)の中で、『法が終わるところ、暴政が始まる』と警告している。心すべき言葉である」などと批判した。

元検事総長たちによる批判のように、検察庁の改正問題については「三権分立」「法治国家」などの視点からは多くの批判がなされている。そこで私は「人民の、人民による、人民のための政治( Government of the people, by the people, for the people )」という「民主主義」の視点から、「改正検察庁法案」の問題を論じる。

2 今やるべきことか?

まず、人民のため」( for the people )という視点から、改正検察庁法案の問題を提示する。今、日本の政治が全力を挙げて取り組むべき課題は何か。それは新型コロナ感染症に関するさまざまな施策でないのか。多くの芸能人たちもこの点を問題視する。たとえば歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんは twitter で「私も自分なりに調べた中で思ったのは今コロナの件で国民が大変な時に今急いで動く必要があるのか」と投稿した。宮本亜門さんも「コロナ禍の混乱の中、集中すべきは人の命」と投稿している。ヒロミさんも「PCR検査ももっと増やしてほしいって、なかなか進まないって言ってるわけじゃん。なんでこれだけ進むのよ」と疑問を呈している。LUNA SEA/X JAPANSUGIZOさんも「討論は新型コロナ終息後にするべきではないの? 今じゃないでしょう?」と安倍政権を批判している。徳光和夫さんも「コロナ禍の危機のさなか、日本の民主主義において見過ごすことができない、危機的なことが、緊急事態が発生している。例の検察庁法改正案」、「これはなんで今なのか。これこそ不要不急。いろんな芸能人の皆さんが反対の声を出している」と批判した。

ここでフランスに目を転じると、マクロン大統領は316日のテレビ演説で「政府と国会の行動は今後すべて流行との戦いにむけられなければなりません。昼も夜も、気をそらしてはなりません。したがって私は、年金改革をはじめ進行中の改革をすべて停止することを決めました」と発言し、所得補償や休業補償などにも迅速にとりくんだ。フランスと同様に、安倍内閣が全力を尽くすべきはコロナ対策なのに、いま政府が改正検察庁案などに政治の力を割くことが「人民のための政治」なのか。

外出自粛や休業要請で経済的にも極めて大変な状況に置かれている個人や企業は多い。休業要請で学生のアルバイトなども減少し、学費や生活費に困る学生、大学への入学を辞退することを検討している学生、退学を視野に入れる学生も出ている。新型コロナウィルス感染が拡大する中、教育格差も懸念されている。緊急事態宣言が出されて、私はコロナ感染のためにつぶれたお店をいくつも見た。お店の中に客がおらず、道路に出て人通りがないかを不安そうに眺める飲食店の店員を何人も見た。つぶれたお店、そうした店員を見るたび、そして学生が退学を考えざるを得ない状況におかれていること、入学を辞退せざるを得ない学生がいると聞くと、正直、私はいたたまれない気持ちになる。こうした中、いま政治が全力を挙げてとりくむべきことは、「コロナ対策」なのではないのか。

この点、たとえば『夕刊フジ』2020512日付(電子版)で「識者」とされている高橋洋一嘉悦大学教授は「検察庁法案改正に反対だという人は、検察官OBが年金難民になってもいいのか。著名人らも、法案の詳細を知らずに発信していると考えられる」と発言し、抗議のツイートを投稿した芸能人などを批判すると同時に、安倍自公政権が「改正検察庁法案」を今国会で成立させようとすることを擁護する。いま、多くの人々が大変な状況にある中、「いまとりくむべきはコロナ対策」ということは専門家でなくても感じるだろう。そこで政治に対して注文を付けることは「芸能人」には許されないのか。「主権者」であれば当然、政治のあり方について意見を言うことが認められるべきだろう。そして法の世界を少しでも知っていれば、高橋氏の主張は「噴飯」ものであろう。検察官は退職後、ほぼ弁護士か公証人になる。「検察官OBが年金難民」などというお粗末なストーリーを作り上げて芸能人に「法案の詳細を知らない」などという前に、高橋氏こそ法の現場を少しでも調べるべきだろう。

3 民主主義のあり方として適切か

俳優の城田優さんは、「大事なことは、ちゃんと国民に説明してから、順序に則って時間をかけて決めませんか? そんなに急ぐ必要はあるんですかね?」とツイートした。彼が問題にしているのは、法案を提出した政府が主権者である国民に丁寧な説明をおこない、国民代表で構成される国会で十分な議論を経たうえでの決定の重要性である。民主的に物事を決めるためには政治家による丁寧な説明が必要であり、安倍首相も「さまざまな反応があると思うが説明していくことが重要だ」と述べている。しかし安倍首相の発言とは異なり、改正検察庁法案に関しても、「政府による丁寧な説明」、「国会での十分な議論」がされていない。

この法案は、58日の衆議院内閣委員会で実質的な審議が強行された。改正検察庁法案が審議されるにもかかわらず、担当大臣の森法務大臣は出席せず、自民党や公明党は強行採決しようとした。安倍首相は衆議院予算委員会で、周知期間や地方の条例の準備のため、「今国会で成立させる必要がある」とした。野党議員の質問に対して、武田良太・国家公務員制度担当大臣は「本来なら法務省からお答えを……」、「法務省に聞いてもらった方が」等の答弁を繰り返した。法案担当の大臣が国会に出席しないため、「法務省から」等の答弁を繰り返し、十分に国会議員の質問に答えられず、したがって議論が進まない状況にもかかわらず、強行採決しようとする姿勢が「民主主義」といえるか。

ヴァイマール共和国(1919年~1933年)を代表する国法学者カール・シュミットは『現代議会主義の精神的状況』(1923年)で、「議会制」の精神的基盤として「公開性」と「討論」を挙げる。シュミットは「力( force )に代わる討論( discussion )」が「議会制」の精神的基盤であり、「公開性と討論によってのみ、単に事実上のものである力と権力 ――自由主義法治国家にとって、それはそれ自体として悪であり、ロックが言ったように「獣の道」( way  of beasts )である――が克服され、法のみが力を手にするのだと考えられてきた」と指摘する。シュミットの指摘に当てはめれば、十分な議論をしないで強行採決しようとする安倍自公政権の国会運営は、「討論( discussion )に代わる力( force )」であり、「獣の道」( way of  beasts )となろう。

4 芸能人は政治的発言をしてはいけないのか?

改正検察庁法案に抗議する芸能人や著名人等に対して、「歌手だから」「芸能人なのに」「生物学の専門家が政治に口を出すな」「中国の回し者」「反日」等の誹謗・中傷が多くなされた。こうした発言も健全な民主主義の運営を阻む発言であり、決して看過してよい発言ではない。たとえば「文化人放送局MC」だという加藤清隆氏もいろいろな芸能人の発言を批判する。歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんに対して、「歌手やってて、知らないかもしれないけど」などと発言した。加藤清隆氏の知識・認識の浅さにいちいち付き合うのもどうかと思うのでここで取り立てて彼の言説を批判することはしないが、たとえば憲法改正問題に関して憲法研究者が「法を十分に学んでいない評論家だから知らないかもしれないが」「経済しか分からない」等と言ったら、こうした人たちは憲法改正論議について黙るのか。それが民主主義に資するのか。

改正検察庁法案の問題でも、歌手や芸能人の立場ならではの感じ方や意見もあろう。年代が異なれば、物事の捉え方、受け取り方も変わるであろう。さまざまな立場の人がさまざまな意見を表明し、議論することが健全な民主政には必要である。「歌手」「芸能人」「生物学の専門家」は知らないなどとレッテルをはって批判するのは民主政における「表現の自由」の重要性を認識していないことを証明する。これだけでも「政治評論家」「大学教授」等を名乗る資質が疑われる。

「人民のための政治」になっていないと市民が感じた場合、市民が政府を批判するのは当然の権利である。民主主義国家であれば、政府批判の言説こそ重視されなければならない。政府批判の声が大きくなることで、政府が政治のあり方を変えるきっかけとなる可能性もある。「歌手」「芸能人」「生物学者」だから政治に口を出すななどという発言をする人たちは、政府批判による政策変更の可能性を封じるという点でも、民主政を損なうものとなる。

さらに今回の抗議に関しては、「 #検察庁法案改正案に抗議します を訴えた反日くんたち」などと記されたリストが twitter で出回っている。抗議した芸能人の発言を紹介すると、「もうこれ以上、保身のために都合よく法律も政治もねじ曲げないでください。この国を壊さないでください」(俳優の井浦新さん)、「本当にこの国が壊れていく」(映画監督の白石和彌さん)、「これ以上マズいくににしたくないだろっ!?」(俳優の北村有起哉さん)と発言する。彼らは日本という国を愛していないなどというのは、「レッテルはり」である。それとも「国」とは安倍首相のことで、安倍首相を批判する人たちは「愛国心」がないというのか。政府批判をする人を「非国民」「愛国心がない」などと主張するのは、まさにナチス・ドイツ下の全体主義や敗戦までの日本の軍国主義社会のあり方であり、極めて危険な思想や発言である。

芸能人による抗議の発言は、元検事総長などの抗議声明や、全国各地の弁護士会の抗議声明などと同一の趣旨のものが多く、内容的にも正当である。そして多くの市民が政府を批判するのであれば、抗議される政治をおこなう政府に問題がある。政府批判の言説の芽を摘むことは、世論の画一化を招く傾向をもたらし、民主政にとっては極めて問題のある状況を生じさせる。政治のあり方に疑問を感じる芸能人、著名人等に対して「不当」な中傷・誹謗を看過しないこと、政治のあり方が「おかしい」と感じた時に市民や芸能人が声をあげる環境を守ることも、民主政が健全に機能するためには必要である。

5 おわりに ~憲法改正の問題について~

改正検察庁法案の問題を「民主主義」という視点から紹介した。いま日本の政治で一番求められていることは「コロナ対策」にもかかわらず、改正検察庁法案に力を割こうとする安倍自公政権の政治は「人民のため」という視点が欠けている。国民に十分説明せず、担当大臣も国会に出席させず、国会での十分な議論もせずに検察庁法を強行採決成立させようとする安倍自公政権の姿勢にはやはり「民主主義」の視点が欠けている。実はコロナ禍のどさくさに紛れて成立させようとするのは「改正検察庁法案」だけではない。いま、国会に「改正種苗法案」が提出されている。「改正種苗法案」では、作物の一部を採って繰り返し育てる「自家増殖」を原則として禁止し、農家に企業などから種や苗を買うように強いることになるため、企業の利益になる一方、農家に打撃を与える可能性がある。こうした「改正種苗法案」には女優の柴咲コウさんも抗議している。

さらに自民党はコロナ対策を口実とする、「緊急事態条項」を導入する憲法改正を主張する。これもどさくさに紛れての憲法改正論議である。「緊急事態条項」を導入する憲法改正論議については別稿で論じるが、安倍自公政権は生活補償や休業補償、家賃補償、学費対策などの対策も適切かつ迅速に実施しているわけでもない。こうした政策を実施するのに憲法改正は必要ない。ドイツやフランスでは迅速かつ大々的な対策がとられているが、法律レベルで対応している。

憲法改正の国民投票には総務省の試算でも850億円もの費用がかかるが、これだけの費用をかけるのであれば、憲法改正よりもコロナ感染で苦しむ人々や企業、教育などに費やすべきだろう。こうしたことを配慮せず、憲法改正にむけた政治を進めようとするのであれば、そうした政治は「人民のため」( for the people )でない。先に紹介した徳光さんの言葉を借りれば、全力で取り組むべきコロナ対策をおざなりにして、どさくさに紛れて改正検察庁法案や改正種苗法案、そして憲法改正による「緊急事態条項」を導入しようとする安倍自公政権の政治のあり方こそ「緊急事態」である。